森絵都「みかづき」☆☆☆

みかづき

昭和36年、千葉県習志野市の小学校の用務員として働く青年・大島吾郎は、授業についていけないという児童に用務員室で補習を行っていた。

家庭の事情で高校を中退し、教員免許も持たない22歳の若い用務員だが、子どもに寄り添って教える力を持っている吾郎の補習は、児童の学力を伸ばし、一部で大島教室などと呼ばれて人気があった。

ある日、吾郎に教えを乞いに来ていた小1の少女・赤坂蕗子の母・千明に呼ばれた吾郎は、千明が立ち上げる予定の学習塾へ来て欲しいと誘われる。

シングルマザーの千明は家庭教師をしているが、進学率が上がってくるこれからの時代は、学校教育だけでは学力不足となる子どもたちのために、学習塾の需要が増えてくると言う。

千明の誘いに尻込みする吾郎だったが、用務員の職を失ったことを契機に、千明とともに学習塾を立ち上げる事を決める。

千葉・八千代の一軒家を借りて始めた塾経営は徐々に軌道に乗り始め、5歳年上の千明と結婚した吾郎には、血はつながっていないが吾郎を父として慕う長女・蕗子、千明との間に生まれた次女・蘭、三女・菜々美の三人の娘が出来ていた。

しかし塾を受験競争を煽るものとして白眼視する風潮の中、塾はあくまでも子どもたちの補習の場として考える吾郎と、進学のための技術を教える場所として割り切る千明との間には考え方の亀裂が見え始め・・・。


学習塾の経営に力を注ぐ家族の姿を通して、昭和30年代から現代に至るまでの日本の教育のあり方を考えた大河小説です。

色々な考え方があり、人によって違う理想の教育の姿があり、この作品では文部省を始めとした役人や政治家の姿勢にやや批判的なものを感じてしまいますが、実際のところは教育に携わった人はそれぞれの立場で真剣に考え悩んでいたのだろうと思います。

学習塾経営という、やや特殊な業界を舞台にしているため、教育の問題や格差社会の問題など社会問題がテーマのひとつになっていますが、人間の生き方や家族のあり方、親と子の確執、また高度経済成長からバブル崩壊と失われた20年、少子高齢化による日本の社会の変遷なども描いていて、そういうところも興味深く読みました。

この本のタイトルの元となった「常に何かが欠けている三日月、欠けている自覚があるからこそ、人は満月を目指すのかもしれない」という主題は、なかなか奥が深いですね。


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