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佐藤雅美「恵比寿屋喜兵衛手控え」の感想です。

佐藤雅美「恵比寿屋喜兵衛手控え」☆☆☆

恵比寿屋喜兵衛手控え

老舗の旅人宿恵比寿屋の主人・喜兵衛の元に、越後縮の取引にまつわる詐欺事件の訴訟依頼が舞い込んで来た。

旅人宿の世話役で、公事宿としても評判の高い喜兵衛の元には、難事を抱えた客達からさまざまな相談事が持ち込まれる。

というのも、喜兵衛のような公事宿の主人は、素人には分かりづらい公事訴訟の手助けをする、江戸時代の弁護士のような役割を果たしていたからだった。

複雑な事件の謎を調べ始めた喜兵衛は、ある夜正体不明の剣士に襲われる。

辻斬りの様に喜兵衛を襲ってきた浪人の目的は果たして何か。果たして喜兵衛は、この難事件を解決出来るのか。


第110回(平成5年/1993年 下半期)の直木賞を受賞した、江戸時代を舞台にした法廷推理時代小説です。

佐藤雅美が現れるまで、江戸時代の民事訴訟について、ここまで詳細に描かれた小説は存在していなかったように思います。

江戸の行政と司法を一手に引き受けていた町奉行所の役割なども分かりやすく描かれていて、管理人も何となく知っている事もありましたが、この小説を読んで改めてそうなんだと知ったことも多くて、とても勉強になりました。

今までは江戸時代の庶民の生活がよその世界の出来事みたいな感じでしたが、この作品を読むと目からウロコが落ちて、何やら江戸時代が身近に感じます。

与力などが妙に格式ばって威張っているのは、時代を考えれば当然ですが、それでもこういう裁判制度があり、公平な第三者の視点で善意の市民を守ろうという考え方が為政者の根本としてあった事は、江戸時代が庶民が虐げられているだけの暗黒時代ではないと理解できてウレシイですね。

確かに刑罰は現在と比べると比較にならないほど厳しい。しかしだからこそ民衆の遵法精神が育ち、また素直に運用すると厳しすぎる刑罰を考慮した為政者や町役人などが、情状を酌量して法の運用を図っていた姿が浮かび上がってきて、成程と思わせてくれます。

またこの小説の面白いところは、そうした江戸時代に対する興味をかきたててくれる場面だけではなく、優秀な弁護士の喜兵衛がプライベートな家庭生活に悩める一人の男であり、病気で寝込む妻に気を使いつつも深川で妾を囲い、隠し子もいるという、けっして立派なだけの人物ではないところです。

子供たちの将来を案じてはいても、子供たちは思う通りには育たず、友人付き合いもまた難しい現実。

そうした喜兵衛の心のうちと公事訴訟の真相究明を上手に絡めながら、いつの時代も根本的には変わらない人の世の情景を巧みに浮び上がらせた傑作時代小説です。